2016年6月11日土曜日

公立大学の学生交流に関するワーキンググループ(参加報告)

昨日の北九州のレポート。「報告がなくてイライラしてた」と通信に昨日書いて
いたら(ガリラボ通信2016/6/10)、参加した4人とも夜になって一斉に写真付きで
報告してくれました。笑
報告自体は記録係りで随行したM1(16)山口に期待しておりましたが、帰ってきてから
口頭で報告するつもりだったようです。昨晩は21:30には帰ったので、すれ違いに
なりました。

昨日、お昼には北九州に到着したようです。

   

上記会合があったのは、北九州市立大学図書館内のラーニング・コモンズ。
立派な空間です。

会議の場所と自由な学びの空間が同じに作られている。学びの空間デザインとしては
素晴らしい限りです。
本学でLLC(ランゲージ・ラーニング・コモンズ)を作った時のコンセプト(実はLLCという
名前は私がつけました)が、ほぼこれだったのですが・・・。


4年(13)中村の報告。夜になって届いたメールには、このことのことについて、
  また、大学の先生方の前で発表させていただく機会など普通はないのでとても
  いい経験ができました。
  山口さんからも報告があった通り、「トイレリーダーをやっていました」というと
  笑いが取れたので緊張もほぐれて良かったです。
  トイレには不思議な魅力があるなと最近は常々考えています。
  会議を終えるといつの間にかトイレの学生と呼ばれていました。
  ほめ言葉だとうれしいなと思います。
とありました。


4年(13)塚田の報告。同じく塚田から夜になって届いたメールには
  自分の感情をコントロールしつつ、話しを出来きました。日記という発表方法に
  したことで震災当時の状況をリアルに感じ取ってもらうことができたのではない
  かと思います。
  先生、今日は貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました!
  大学代表としていけるなんて、プレッシャーも感じていましたが、その分刺激を
  受けることができたと思います。
とありました。M1(16)山口のメールにはこの時の様子が
  塚田さんの報告では北九州市立大学の新図書館を利用していた他の学生も食い
  ついたほどで、司会の北九州市立大学の田部井教授が涙した上に、後の進行が
  ドキマギして乱れた程の感銘を与えたようです。
ということでした。発表とは、表現とは、非常に多様です。
塚田は、自分の日記の朗読という1人称表現によって熊本のリアルな状況を、経験して
いない人々に的確に伝えたわけです。
この状況において、非常に優れたメディア表現であったと思いました。
少なくとも表現に関し、ガリラボのゼミ生は極めて優秀です。


佐藤特任講師(OB(M08)が大学で起きたこと、そして今後やろうとしていることを報告しています。
中村と塚田の報告がとして浮かび上がるよう的確なをつくってくれたのだろうと思います。


他大学との学生とも意見交換ができたようです。^^


2部のワーキング会場。

ここで、今年度の全国公立大学学生大会のテーマは「地域を良くする」に決まったようです。
いいテーマだなと思います。
なお、この日は、公立大学教員代表として高知県立大学の清原先生が出席されていました(上の写真で、佐藤の隣の方)。
昨年仕事で一緒になり、私の面識のある方だったので4人とも挨拶に行ったようです。
その先生から、今朝メールが届き、
  中村さんのお話からはギリギリの厳しい状況の中で、学生たちが自分たちの
  判断で動いていたことに感動しました。
  塚田さんは日記を読んでくれて、震災を通じて家族を思い、人を思い、塚田さんが
  成長していくプロセスを感じることができました。
  お二人ともに、素晴らしいプレゼンテーションでした。
とお褒めの言葉を頂きました。


さて、今年の学生大会のテーマを見て、以下感じたことです。
 
賢くそして行動力のある(=創造力豊かで、問題解決力に優れた)学生たちが
地域に残ってくれれば、地域は自然によくなっていくはずだな、と。
この意味で大学教育って重要だなとも思いました。
こうした人材っては行動力が要求されます。
だから、以前、私は
  輝く知性は行動なしには生まれない
という言葉を好んで使っていました。
理由は、私もですが、行動する学生が少ないように思っていたからです。

ただ最近、一歩を踏み出していく勇気を持つこと、行動を始めることの重要性は痛いほど
わかっていますが、そのことに少しだけ違和感を感じるようになっています。
自分の経験の範囲内だけで、やみくもに行動しているようにも思えるのです。
行動してきたぜ病というか、なんというか。
学生という、若さと時間が豊富にあるという大人が持っていない貴重な財産(資源)を頼りに
動いているだけに見えないでもありません。

本を読み、専門性もですが、深い教養を学ぶことを忘れては、学生である大事な財産を
ただ消費してしまっているだけになりそうです。
その財産を食いつぶた後に残っているのは、果たして何でしょうか。

先人の優れた知恵・知識を学び、深い教養を学ぶことが大学にいる大切なもうひとつの
(いえ、こっちが本流の)意味であり、そうした学びがあって初めて行動も生きていくはず。

ガリラボのゼミ生は行動する機会が多くあります。
しかも多様な他者との関係の真っ只中に追いやられ、複雑な関係の中を行動せざるを
えない機会が多い。
そうした環境にいるからこそ、ガリラボのゼミ生には、さらに高いところを目指してもらい、
そのためには本を読ませたい。
だから、「輝く知性は行動なしには生まれない」よりも、最近はよく「勉強しろ」と言います。
もっとも、行動していない人には「勉強しろ」とは言わないだろうとも思います(たぶん)。

さらにまた、自分の考えを「的確な文章」で表現できるようにもなってもらいたい。
「どりぃむ~それぞれのカタチ~」で取材させてもらった熊日の長崎さんも若い人への
メッセージとして
  やはり、文章を書いてほしいですね。文章を書くということは考えることに繋がるので。
と伝えられました。
文字は、その考えを深めていくことにもつながっていきます。

行動して、その意味を考えるためにも勉強していく。
そうして、ガリラボのゼミ生には、どこの大学生にも負けない、(大げさに言えば)日本一の
大学生になってほしい。
 
勉強し、深い教養を身に付けて行くことは、経験に縛られず、そこから自由になって将来を
豊かに生きるための条件にも私には思えます。

ガリラボのゼミ生、そして卒業生。
行動した分だけ、それ以上に、本を読みなさい。
そうした人たちこそが、真に「地域を良くする」人材になっていけるでしょうから。

ということで、塚田にも中村も「勉強しろ」と言いたいと思います。笑
   
参考:「経験という牢屋」のスピーチを読んでガリラボ通信2013/4/14
 

 

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