2012年3月1日木曜日

もう一度だけ普通に授業を受けたい!

ガリラボはすごく静かです。
現在、4年(08)松永がいるのみ。
静かに作業(卒業文集作り?)をしています。
3年(09)本多が、春休みの友の印鑑だけもらってとんぼ返り
していきました。

今日から3月。
3月は、多くの別れが待っています。

午前中、私は、第1高校の卒業式に来賓として出席して
きました。
初めて出席しましたが、大変すばらしい儀式で、卒業という
通過儀礼を十分に感じるものでした。

終わった後、来賓の方々が口々におっしゃっていましたが、
卒業生の答辞がすばらしかった。
彼女の長い答辞は、先生方を初め保護者の涙を誘うもので、
感動的でした。
話のピークは、彼女が、希望が叶うならば、後1週間、いや
1日でいい、もう一度、学校に普通に登校したいと話したとき
でした。
この時、350名ほどの卒業生のほとんどが同時に涙を流し
すすり泣いているようでした。
もう一度だけ、校門をくぐり、教室のドアを開け、みんなに
普通におはようと言い、休み時間にはおしゃべりをして、と
そういったごく普通の日常のことが、こんなに愛おしいとは
思わなかったと、そして、もう一度だけでいいから、みんなと
一緒に普通に授業を受けたいと、涙を流しながら話していました。

その瞬間、生徒はもちろんのこと、保護者のみなさんの多くも
涙を流しておられるようでした。

感動しました。

何気なく時間が過ぎていく日常が、いつも通りにやってくる
普通のことがどれほど大切なことか、そのことを良く私は
ゼミ生に話し、そしてその記録の重要性を説いています。
それもあり、このガリラボ通信はガリラボの日常を切り取る
ことを実践しているつもりです。
さらに、菊陽での活動も基本的思想は日常の記録にあります。

そう思ってはいるものの、そのことがどれほどゼミ生に伝わって
いるかは定かではありません。
自分の表現力の足りなさを教えられた卒業式でした。
答辞を読んだ彼女は、あの短い時間で、あそこにいた1000名を
越える人全員に、その意義を伝えたわけです。
凄いことです。

貴重な場に居合わせることができて幸運でした。

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