2012年2月6日月曜日

どぎゃんでんいいから、さっさ終わらせろ!

Facebook経由で、Facebookを立ち上げたザッカ―バーグ氏の次の
言葉の存在を知りました。
引用元

(凄いですね、Facebookは。本格的に使い始めてそこまで経っていませんが、興味
 深い情報に出会う確率がTwitterより高いように思います。
 (覚えていれば)別の機会にまたそれを話題にして、この場で情報提供します)。



これを読み、「 (◎Д◎)」と感激し、それからネットで検索していたら、
これについて表した次の画像も見つかりました。
図にするとわかりやすい(こういう表現テクニックを「漫画」といいます。知ってますね、もちろん?)。

引用元


乏しい体験なので当てにはなりませんが、私自身、何かやるとき、どうでもいいから、
最後までたどり着き、目標にしているモノ・コトにカタチを与えてやることが非常に重
要だと感じています。
長い論文など書くときがそんな感じです。
とにかくざっとでいいから、訳の分からなさと格闘し、耐えながら必死にやって、ゴール
にたどり着く。

良いものを生み出すには、それが大事です。
ただし、そのゴールに、締切のかなり前にたどり着くのがポイントです!
だから「まず終わらせろ」なんです。

少しづつ精密に前に進んでいくよりも、本筋に注意しながらですが、大雑把に前に進み
最後までたどり着くのがいい(そう信じています)。

そうしてたどり着き出来上がった「デキソコナイ」を、それから死ぬほど磨き上げていくんです。
それをするために、最後のゴールは早めにたどり着く必要があります。
それから「ち密さ」にモードが移行します。
このモードになると「神は細部に宿る」という言葉の信者にならないといけない。
良いものを生み出すには、大胆さとち密さの両方が必要です。

ということで、「完璧を目指すよりもまず終わらせろ」とは「神は細部に宿る」という行動を可能にするための必要条件なのだろうと思います。


さてさて、、、現在、大学は後期試験の真っ只中です。
ガリラボのゼミ生たちは悪戦苦闘しているようです。

午前中、試験監督に出向いたらガリラボの2年生(10)が4人ほどいる教室でした。
吉村、保坂、森本、丸山だったと思います。
82名ほど受験していましたが、ひとりだけ仮学生証でした。
保坂です。orz
別に違法ではなく、正当な受験スタイルなのですが、まあ一人だけ・・・
彼はやっぱり何か持っているのでしょう、きっと。
吉村は試験前にその会場でばったりと倒れて、大恥をかいたと後で言ってました。
彼女もやっぱり何か持っているのでしょうか?
・・・昼間、ガリラボでは3年生が試験勉強に勤しんでおりました。


大変な試験勉強にもザッカーバーグ氏のコトバが当てはまります。
まず、よくわからなくても最後までたどり着くことが大事。
そうしておぼろげながらでも、全体を覆うような概念をつかみ、そうしてから細部に
入っていく。
そうやって(実際はそれを何度も繰り返すことになるでしょうが)、その分野がわかる
ようになっていくのです。

私が大学の時の試験勉強で感じたことがこれでした。
大学入学前は、試験というと、中間試験や期末試験とかがあって、その科目を
分割して勉強していました。
試験勉強をしますから、分割したところは一応わかっていても、その科目を終えても
結局全体として何がいいたのか分からない状態でした。
ところが、大学の試験は一回きりです。
それで、教科書一冊全部が試験範囲になります。
それで初めて、全体を通して(試験ですから、必死に)読むことになり、それで初めて、
その分野がどういったものなのかが明瞭に理解できたと感じました。
大学の試験というものの意味はそこにあるのではないかと思います。
(ただし、最近はちょっとその傾向から外れる方向に世の中がシフトしている気が
 しないでありませんけど)。

いきなりですけど、次の文章を読んでみましょう(心理学のスキーマ理論でよく使われる文章です)

その手順はとても簡単である。はじめに,ものをいくつかの山に分ける。もちろんその全体量に
よっては,一山でもよい。次のステップに必要な設備がないためどこか他の場所へ移動する場
合を除いては,準備完了である。一度にたくさんしすぎないことが肝心である。多すぎるより,
少なすぎる方がましだ。すぐにはこのことの大切さがわからないかもしれないが,めんどうなこと
になりかねない。そうしなければ,高くつくことにもなる。最初はこうした手順は複雑に思えるだ
ろう。でも,それはすぐに生活の一部になってしまう。近い将来,この作業の必要性がなくなると
予言できる人はいないだろう。その手順が終わったら,再び材料をいくつかの山に分ける。そし
て,それぞれ適切な場所に置く。それらはもう一度使用され,またこのすべてのサイクルが繰り
返される。ともあれ,それは生活の一部である
(Bransford & Johnson,1972)

初めてこれを見たとき、さっぱりでした。
何を言っているのか全くわからない。こんな状態でした ⇒ ┐(´∀`)┌ 



しかし、この文章が「洗濯」のことだということを知ってから読むと、ぎこち
なさは感じるものの、それでも文章の意味が頭に入ってきます。
全体像を把握するというのは、こんな状態です。
それで、最初に戻りますが、ザッカーバーグ氏が言ってる「とにかく最後までやれ」と
いうのは、最後までやって全体像を鳥瞰できる位置に立てと、そういったことを含ん
でいるのだと解釈していいと思います。
そうすることで、大局的な課題をきちんと把握しやすくなるわけです。
言い古されたことですが、「鳥の眼と虫の眼」の双方が必要なんです。




ところで、ザッカーバーグのこの言葉を検索していたら、次の写真にたどり着きました。
引用元

ドアの上にスローガンが貼ってあります。
右側は「早く終わらせろ」ですが、左側のスローガンは、
  move fast and break things
   (迅速な行動が物事を動かす)
という意味だそうです。ガリラボの関係者のみなさん、何か「ピン!」と
きませんか。
そうです。
ガリラボのスローガンである
  輝く知性は行動なしには生まれない
というのと意味的にそう違いはありません。
そう思いませんか(コジツケですかね?)。

多少違っていても、そう思うことにしましょう。
われわれはFacebookを作っている人たちと同じ理念で活動しているのだと。。( ̄▽ ̄)v






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