2010年5月16日日曜日

「気配り」と「む+む」

本日は自宅で仕事中です。
日曜日ですし、自宅にいるということもあり、さすがに今日はガリラボのゼミ生の
情報は入ってきません。
特に情報発信する必要もないのでしょうが、先が見えなかった現在の仕事のゴールが
ようやく見え始めたので、休憩がてら、ガリラボ通信に向かいます。
さて、先日、1年生の授業で毎日コミュニケーションズのキャリアサポート課の方に来てもらい、
キャリア形成概論を話してもらいました。
非常に面白い話で、金曜5時限目の講義にかかわらず310名が熱心に聞き入っていました。

二つのことが印象に残ったので、ガリラボのゼミ生にも紹介したいと思います。

その講師の方が、ある大手の銀行の人事の方にこう言われたそうです。
うちは、気配りのできる人がほしいんだよ」、と。
どういうことかわかりますか。
私自身、気配りができる学生と一緒になると、こいつ頭いいなぁと感じることがあるのですが、
どうしてそう感じるのか、話を聞いてよくわかりました。
要するに、気配りのできる人って、仕事ができるんです。
 
気配りには、こんな条件が必要です。

(1)情報収集力、キャッチする力が優れている。
   つまり、周囲の状況をよく観察していて、小さな変化もつかまえる優れたアンテナを持っている。
(2)その情報を分析・処理する力が優れている。
   キャッチした情報から、その状況をさっと分析・処理して、何が必要かをはじき出す力がある。
そして次がもっとも重要ですが、、、
(3)行動力がある。
   必要なものごとをはじき出した後、それを実践する力を持っている。

要するに、気配りができる人って、情報を主体的に処理しているのでしょう。
これって仕事そのものです。
仕事って、そんなことの繰り返しのように思います。
先の銀行の方が言った意味がわかったでしょうか。
 
気配りのできる人を見ていると、そこに優れた知性を感じていましたが、
当然なことでした。
要するに知性レベルが高いから気配りができるわけです。

となれば、気配りとは、意識的に訓練すればできるようになるのだと思います。
だって頭って鍛えれば良くなりますから。
そういうのを脳の可塑(かそ)性と言いますが、これは年齢に関係ありません。
年齢を重ねると頭を鍛えられにくくなるというは全くのウソです。
要するに、長い間使っていないと、鈍ってしまいそれで突然やってもうまくいかないだけです。
この意味では、勉強をさぼり、いつも同じことを繰り返していると、年齢的には若くても
頭が錆ついてしまっている人も多くいるかもしれません。

これまでガリラボのゼミ生にはほんとによく気配りのできる人がおりました。
誰とは言いませんが、これを読んでいる人はみんなそれに該当するだろうと思います。
だって、ゼミの情報を得ようと、さらに私の考え方などをキャッチしようと努力しているわけですから。
それだけで(1)はクリアです。あとは(2)と(3)ですねぇ。
研究室に来て、お菓子を食べ、そのゴミを捨て、その時にゴミ箱のゴミに気付いて(1)、さてこれは
どう処理されているのかと考え(2)、捨て場所に思い当たり捨てにいくという行動に移す(3)。
気配りの簡単な例がここにあります。
誰が言わないまでも、そんなことをやっている人を見ると主体的な情報処理をする賢い頭脳だなと
思わざるをえません。
(1)もできない人がどう見られるかはもちろん良く分かりますね。
頑張ってください。(^^)

もうひとつあります。
毎日コミュニケーションズの方が1年生向かってこんなクイズを出されました。

さて、これはなんと読むでしょうか?



約30秒後、310名の1年生の中で1人(男子学生)が静かに手を挙げ回答しました。
正解でした。
答えは書かないでおきます。
学生の間に、ぜひそうしたことをやってほしいとの願いを込めたクイズでした。
だって、そういうことができる人って仕事ができる人なんです。
 
ガリラボとは直接関係ない話でしたが、キャリア形成論を担当するようになって3年。
私自身の視野がものすごく広がりました。
最初は苦しいですが、新しいことに挑戦するって、大事なことだと思います。

現在のやっている仕事も他学部の先生や事務局の人たち8人とでプロジェクトチームを
組み、かなり大胆な新しいことに挑戦しています。
ここしばらく、帰宅が午前0時を過ぎることもよくありますが、なんだか面白いんです。
事務局の人たちも、大変といいながら、顔は楽しいそうです。
主体的になったときの仕事ってそんなものなんだと思います。
気配りができる人って、仕事ができるだけでなく、きっと仕事を楽しくできるだろうとそんな
気がしますが、どうでしょうか。

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