2024年5月12日日曜日

退官記念祝賀会@水前寺共済会館

5月11日(土)に大学院卒業生により退官記念祝賀会を開催してもらいました。
この会のスタートは、今から2年半ほど前の2021年11月2日に遡ります。
この日、OB(M06)黒田と(M06)佐藤が研究室にやって来て、退官記念誌を作りたいとの申し出がありました。
その後(おそらくこの2人が発起人となり)実行委員会が立ち上がり、第1回実行委員会は2022年8月4日にオンライン開催されたようでした。
会議は毎月のように開かれ、私も途中で何度か参加しました。
合計14回ほど開催されたそうです(祝賀会の席上、そのことを聞きました)。
その会議の中で記念誌だけでなく祝賀会も開催する方向になり、何とも厚かましいことに、祝賀会の際に「最終講義をやりたい」と私が言い出しました。


厚かましいお願いであったにも関わらず、次第に組み込んでもらい、祝賀会は正午(12時)に開会となりました。なお、会場は実行委員長のOB(M06)小松の手配によるものです。
会の司会はOB(M06)黒田、発起人挨拶はOB(M08)佐藤、そして記念誌編集委員長挨拶はOG(M13)坂口でした。

受付にて記念誌を受け取りました。素敵な冊子です。
カバーはOG(M14)吉村によるデザインとのことでした。
持ち帰った後、大学院卒業生全員分の寄稿を読ませもらいました。25名それぞれの卒業生と一緒に難しい課題に向き合っていた当時のことが思い出されました。振り返ると、なんとも充実した日々であったと感じます。
原稿依頼から、集まった原稿の編集作業と、記念誌編纂は本来の仕事の傍らで、大変だったはずです。
編集委員((M13)坂口、(M15)藤本、(M17)多賀の3人だったかな?)には感謝しかありません。自宅の私の部屋(研究室)の本棚に大切においておくつもりです。

受付ではOG(M20)アクストが、受付作業と並行してインスタントカメラ「チェキ」で写真を撮っておりました。
祝賀会の最後にアルバムをプレゼントしてもらいましたが、そこにはチェキの写真付きで出席者それぞれからのメッセージが添えてありました。

祝賀会の最中に、この作成作業を誰かがやってくれたはずです。申し訳ない限りです。このアルバムも、記念誌と一緒に自宅の研究室に大切においておきます。


ところで、わがままを聞いてもらえ話せることになった「最終講義」ですが、決まったら決まったでどういった話をすべきか色々と考えてしまいました。
ガリラボとは、ゼミの時間よりも、研究室(ゼミ生はゼミ室と呼んでました)で雑談することで色々と私の考えやゼミ生が思っていることなどの知識交換を行っているところでした。そのことについて、OB(M15)藤本が記念誌に次のように寄稿していました:
ガリラボは日が暮れても賑やかだった。夕方6時以降もゼミ室に残っている学生はだいたい馴染みの顔ぶれで、とにかくガリラボが大好きな面々だった。無論、私もその一人である。
学生同士でよもやま話に花を咲かせる時間もかけがえのないものだったが、何よりも津曲先生の夜の講義という名の課外授業が私のお目当てだった。正直言って、どの授業よりも面白かった。・・・時間が経つのを忘れてお話をお聞きし、そして色々と質問していた。あの時間を一緒に過ごした卒業生の誰もが楽しかったと言うだろう。

この時間は、私自身が楽しい時間でした。(よくガリラボ通信の中で使っている言葉ですが)私にとっての「神話的時間」でした。

そうであれば、やはり(藤本が「課外授業」と名付けてくれた)夜の講義風に、ガリラボがもう一度復活したと仮定して、その場を想定して雑談的に話すのがよいだろうと考え、ストーリーの一貫性はさておき、今私が思っていることを脈絡なく話すことにしました。
脈絡はないものの、とりあえず「ぐぐるという検索の時代」からAIを用いた「生成の時代」へと転換しようとしている今、「考えること」が人として生きていく上でより重要になりそうだとの話をしたように思います。特に出席者は教育の現場にいる卒業生が多いので、そのこともあってこの話題を雑談のテーマに選びました。
もちろんこの「考えることから逃げない」とは私自身に対するこれからの戒めの意味も込めたものです。

30分ほどの雑談は、卒業生が聴講者でしたので、熱心に聞いてもらえ、気持ちよく最後の講義を終えました。
12時に開会し、15時閉会までの3時間の祝賀会はあっという間でした。
ほんとにあっという間の時間でした。濃い時間でした。
この会のおかげでゼミの教員としての最後をしっかりと締めくくれたように思います。
 

・・・
 
記念誌に寄稿してくれた卒業生のみなさん、祝賀会に出席して雑談に付き合ってくれた卒業生、そして祝賀会の実行委員の卒業生、記念誌編集委員の卒業生のみなさんほんとにありがとうございました。みなさんと出会えてほんとよかった。
発起人の佐藤君と黒田さんには特に感謝しています。2人の行動がなければ、このようなすっきりした気持ちで私は教員生活を終えることもなかったでしょう。感謝しています。

卒業生のみなさんの今後の活躍を我が家の研究室から祈っています。^^
 



花束もありがとうございました。自宅が華やかになりました。



令和6年5月12日
少し慣れてきた終の棲家にて


2024年5月1日水曜日

4月のアクセス統計/ガリラボ通信の役割変更

2024年3月末でガリラボは閉店しました。
ただ、卒業生間の情報交換の役に立てばと思い、4月になってからも、卒業生について私が知りえたことをここで発信しています。

4月のアクセス状況は以下の状況でした。閉店直後は良くアクセスされたようです。それは確かにそうなのでしょうが、それにしても平均的にアクセスがどうも多い気がします。


エントリー数は、純粋は5エントリーしかなかったのですが、総PVは
 8,999 (PV/月) ( 300.0 PV/日 )
と最近になく増えました。
3月までのエントリーを読んだ人が多かったこともあるでしょうが、それにしても4月の5エントリーに対しては多すぎます。
で、思いあたったのがChatGPT。実は最近、ChatGPTにガリラボついて調べさせていました。おそらく今回の増加はChatGPTによるアクセスの影響ではないかと想像しています。
来月になればその真偽は明らかになるでしょう。


 よく読まれたエントリーは以下の通りです。トップはかなり前に書いたエスノメソドロジーについてのエントリーです。このエントリーは定期的によく読まれているように思います。ガリラボ向けに書いたものが、誰かの役に多少でもなっているようでうれしい限りです。
以降は、4月に5つのエントリーが続いておりました。


卒業生のみなさん、近況に変化などあれば連絡ください。ガリラボ通信で紹介して支障がないようであれば、この場で紹介していこうかと思います。
3月まではガリラボの活動を主に紹介するメディアとして機能してガリラボ通信でした。ガリラボが活動を終えた今、4月以降は、卒業生の近況を紹介する
 ガリラボ同窓会「興津会(こうしんかい)」広報誌
のような役割を担わせていければと考えています。

2024年4月30日火曜日

ガリラボについてChatGPTに聞いてみた

生成AIが登場して、いろいろな変化が生まれているようです。
教育の現場もそのようで、本日(4/30)の読売オンラインに、生成AIは「無料の代行業者だ」との中学校の先生の嘆きの声が掲載されていました。

大学生も同様で、この記事の中である大学生の言葉として、

「興味がない必修科目のリポートは基本、生成AIに丸投げ。不必要な時間をとられたり、不完全なリポートを出して単位を落としたりしたくない」

というのが引用されていました。

こうした混乱は、WWWの登場時期、そしてネット検索の発明のときにも起きていて、その時もほぼ似たような議論が展開されていたように思います。
ネット検索についての否定的な意見も散見されましたが、現在は小学生もひとり一台のタブレットで検索することを前提に学んでいるはずなので、生成AIも時間の経過とともに利用形態は収束していくことでしょう。

私も、例えば「ガリラボについてまとめなさい」とのレポート課題がでたら、間違いなくChatGPTに助けを求めるだろうと思います。
実際に聞いてみました。

:ガリラボとはどんな研究室か。 

ChatGPT:研究室の活動から、学生が主体となって多様なプロジェクトやイベントに取り組む実践的な学びの場であると考えられます。また、ドキュメンタリーやスポーツ大会、映像コンテストへの参加など、多岐にわたる分野での活動が行われていることから、研究室が広い視野を持ち、学際的なアプローチを取り入れている可能性が高いと推測できます。これらの情報から、「ガリラボ」は革新的で学生の創造性や多様性を重んじる研究室だと思われます。ただし、より具体的な情報が必要であれば、データ内の該当する記述を探し出す作業が必要です。もし特定の情報を求めている場合は、もう少し具体的な質問をいただけますと幸いです。 


なんとも見事なもの。これなどみると、レポートは、生成AIが作ってくれるようになるのは間違いないだろうと感じます。
便利なものです。
ただ、気になるのはデータ。生成AIが動くためにはデータが必要です。生成AIの燃料であるデータの在り方については少し気になります。


よかおごじょ2人から便り

GW前半が終わりました。みんなどうしていたでしょう。社会人1年目の20ゼミ生はとにかくぐったりしていたのではないでしょうか。笑
私は27~29日で南九州方面を(旅行ではなく)用事であちこち移動し、帰宅後に走行距離をみたら970kmとなっていました。
とにかく移動したGW前半だったように思います。

その途中、鹿児島からいったん熊本に戻った日の夜(28日)にOG(19)川口からLINEが届きました。

福岡からのよかおごじょさんとおやっとさぁ会をしています。

との薩摩弁LINEと共に次の写真が届きました。
この2人のツーショット写真は昨年の12月以来かと思います(ガリラボ通信2023/12/17)。

「福岡からのよかおごじょさん」とはOG(17)岩奥のこと。岩奥は、鹿児島を離れこの4月からは福岡勤務となりました。
またLINEによれば、社会人2年目となった川口は(気持ちに少し余裕ができたのでしょう)新しくテニスを始めたとのこと。
職場以外の関係が生まれ、関係が広がっていくことでしょう。

退職してすぐ、私のことを学生時代の先輩が「熟年1年目」と表現されました。
なるほど熟年か、と。
熟年にしてはまだふらふらしているので少し落ち着いたら、川口を見習い、新しいことを始めようと思います。
 

2024年4月17日水曜日

アフターコロナの福岡大キャンパス

ガリラボとは全く関係ありませんが、大学についての話題なのでここに記録しておこうかと思います(私の生存確認の意味を兼ねて^^)。

昨日、福岡大にでかけました。
数年前に、キャンパスの中央に、すり鉢状の広場が整備されたのですが、ここの目的が何だったのか初めて理解できました。
ステージが設置され、すり鉢のところにはお弁当を食べながらステージを見ている学生たちでいっぱいでした。
広場の横にはキッチンカー2台が来ていて、長蛇の列だったので、学生たちが食べていたお弁当はきっとこのキッチンカーから買ってきたものも多かったに違いありません。

私が見かけ時、ステージにアカペラサークルが立っていて、サークルの紹介をした後、グループで歌っていました(かなり上手で、しばし立ち止まり聞いてました)

コロナ前のキャンパスが完全に戻り、活気のあるキャンパスの中を気分よく教室に向かいました。
授業(情報社会の問題についての講義)も、最初の授業だったからでしょうが、100名近くの学生が熱心に聞いてくれ、気分の良く話ができました。
学生たちと接触するのはやはり楽しい。私は何を楽しいと感じるのか、改めて理解しました。

4月に新社会人となった20ゼミはどうしているでしょう?
スムーズに社会人へのトランジションを果たしているだろうと思ってはいます。
ガリラボで愚痴を聞いてやれないのがちょっと残念です。
 

2024年4月12日金曜日

OG(06)松尾と(07)上村

昨晩、福岡での仕事から熊本に戻っている際に、OG(06)松尾から写真を添えてメッセージが届きました。
先日紹介したOG(07)上村(ガリラボ通信2024/4/7)と2人でランチをしてきたという連絡でした。
上村が東京から帰省してきていて、水俣に戻った上村のところに鹿児島の(といっても隣町なのですが)松尾が出かけて再会したということです。
2人はゼミ以外の活動も一緒にやっていたので、大学時代はかなり密に接触していたはずです。
それだからでしょうが、学年が違っていても、卒業後13年が過ぎてもランチできるわけで、なかなか良い関係です。
松尾はもうすぐ大阪に引っ越します。

 


さて、私も退職して2週間ほどが経ちました。
大学の研究室から我が家の研究室に移動しただけで、まるで変らぬ生活です。
特に昨日から講義が始まり、帰宅したのは夜10時少し前。
今日は朝から提出された課題の整理、合間には新たに進めようかと考えている研究の準備と、変わらず慌ただしい1日を過ごしています。
ひとつ変わったことは出勤しなくてよくなったので、朝のウォーキングができるようになったこと。渋滞している車列の横をカメラ片手に歩くのは申し訳なく思いつつも、朝の散歩は季節もよくなかなか気持ちの良いものです。
細川刑部邸
ハナミズキ

せっかくなので散歩のついでに街を観察しながら、風景写真を収集していこうかと思っています。それを色々な視点で組織的に整理するところまでいけるといいかなとは思っていますが、ちょっと無理かな・・・。

2024年4月7日日曜日

OG(07)上村からのプレゼント

OG(07)上村(現在は結婚して「辻」となってます)からプレゼントをもらいました。

上村が卒業して、もう13年が経ちます。結婚して熊本から東京に引っ越したのが2020年のことでした。随分と時が経ったのにもかかわらず、こうしてプレゼントや感謝の言葉をもらうことができて、私の方が感謝したいぐらいです。

上村は、ゼミ生による新聞投稿について「ガリボイス」とう名称を考案してくれ、そして地域での活動も熱心で、水俣でのフィールドワークでは随分と活躍したことをよく覚えています。
昨年の興津会では、07ゼミ生でオンラインで議論して発表内容を決めていったと前に話をしてくれてました。そうしたことで、大学時代のワクワク感が蘇ってきたと手紙にありました。
学生時代、頑張り屋の上村。
東京では、国の機関で元気に仕事をしているようです。

これまでに比べ、時間はできたのでもらったお茶を家内とゆっくりと飲みたいと思います。
ありがとう。